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蔵元訓征 書

 

1942年    宮崎県都城市生まれ

1964年    東京学芸大学卒業 元都城西高書道科教師

JR大阪城公園駅等  各種施設ロビー陶壁制作

銀座資生堂ギャラリー個展(1981年、1991年)等

首都大学東京講師

陶造形制作

醜美舎結成

東京在住

​蔵元訓征先生
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蔵元先生主宰「第20回醜美舎展」が開催されました。

「第20回醜美舎展」は3月16日から19日まで「銀座かねまつ画廊」で開催され多くの蔵元ファンや関係者が集い交流を深めました。写真は作品を前にますます意気軒昂な先生。 
写真撮影:坂元勇関東地区同窓会会長

「虚静」資生堂CM用作品

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山と海どちらが好きか? 

    学生時代、前田青邨系の六十代の日本画家に無茶振り?な質問を受けた。〝君は山と海、どちらが好きか?″と。海と答えた。しかし、〝何故そのような質問?″と、長年疑問。その後のある時、己の為の勝手な理屈を組み立てた。即ち、山は四季の色彩を変化させ、且つ、積極的に迫ってくる。従って、受動的傾向の理解が強い。海には種類の違う変化はあるが、山の如き顕著な色彩の変化は少ない。然るに、能動的心情の有無・発露如何がその理解度を決定づける。

 そこで、大雑把に、〝山と海″諷に例えた。

 歌謡曲←→交響曲

 具象画←→抽象画

 小 説←→俳 句

そして、

 児童書的書風←→バランス等変化の多い書風(含、墨象系)

前者は山的要素(比較的入り易い)、後者は海的要素(ウム?!!の念が起こり易い)。尤も、厳密且つ専門的に論ずれば、かくも単純な図式は成り立たない。が、ここでは極めて単純化、そして、一般的な考察を試みた。

 特に、後者の場合、心奥にある種の〝レディネス″が不可欠である事に気づく。つまり、そこには、個々人の叙事・叙情観というものが絶対条件に近い形で欠かせない事柄である、と。

 例えば、ある人が、柘榴の弾けた赤い実を見て、〝鬼でさえ、笑えば愛嬌のあるものだ″と。この表現など、正に海的要素の心情なくば生まれることはないであろう。ところで、先述の画家の真意を今となっては知る術もないが、この質問を自身の〝創造力源″の醸成及び思考の一つの要素と考えるならば、貴重な質問であった、と理解し得る。又、関連して学生時代、上田桑鳩に〝学生なら哲学と美学も学べ″との指導を受く。然るに、この事と画家の質問は自身の中では符合するものがある。そして、青年期の出会い・在り様をつくづく思う。

 ともあれ、にしても、時折ふと思う。それは、創始者の高い次元のDNAを蔵し継ぐ人の苦悩は測り知れなく、大変な事なのであろう、と。この事だけは推察している。

(2019年8月猛暑)

一羽来て啼かない鳥である
​(山頭火句ーそのもどかしさーマッチ棒での書)
(日本文化の綜合を“お茶の世界”と認識。その象徴として“茶碗”を配す。)
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​天なるは乃(すなわ)ち道たり
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シリーズ 哲理ー陰陽五行ー “陶作品”
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大安
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長恨歌<全紙八幅>
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シリーズ 哲理ー陰陽五行ーの起承転結 “その転ーC”
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陶レリーフ “悠々”
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陶立体 “毅 然”(花瓶転用中)
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陶立体 “念々迂人”
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