top of page

ー西高関東同窓会の皆様へー
​2023年を振り返って 福留俊博
Ted Fukudom​e

2023年も残すこと僅かになり、この一年を総括したニュースレターを準備致しましたので御一読下さい。相変わらず妻コニーと私は毎日2−3時間程の散散歩、数多くの野外活動及び下記に報告する旅行などを通して健康維持に気をつけて来ました。

 

  • 1月下旬2022年のナイル川クルーズ中に出会ったケイとリンに会うためにフロリダ のサンクトペテルブルクへ行きました。ベーブ・ルースやロバートケネディーなどの著名人が宿泊したクリスタル・ベイ・ヒストリック・ホテルに滞在しました。

  • 2 月中旬フロリダ州ポート セント ルーシーの海辺のリゾート ホテルで真理恵、ショーン、孫娘のレイラと一緒に数日間を過ごしました。

  • 4月中旬コニーの妹のヴェルラと夫のロドニーと一緒にオランダの港町を巡る2週間のリバークルーズに参加しました。 ハイライトは、満開の美しいチューリップを見るためにキューケンホフ公園を訪れたことです。

  • 8月中旬コニーの故郷であるカンザス州を訪れました。 娘の真理絵と一歳の娘も参加して、多くのコニーの兄弟や親戚と楽しい再会を果たしました。 その後、数日間の予定でイエローストーン国立公園に向かい、豊富な野生動物が生息する独特の熱水と地質学的特徴を楽しみました。

  • 10月下旬、真理恵が家族と義両親のデイブとアイリーンのために企画した2週間の日本旅行に参加しました。 娘の助言で東京の北西部に位置する街吉祥寺を拠点に都内観光をスタートしました。何故ならこの街は45 年前に駅に隣接した アパートに住んだ事があり、最終的には隣駅の三鷹に家を購入し、そこで子供を育てた思い出多い場所です。数日間の都内観光後は京都、高山、金沢を訪れました。 楽しく、思い出多い旅行を満喫しました。 観光以外のハイライトは東京で弟である邦博家族及子供三名の家族全員との再会、高山では従姉妹である洋子女史及び夫で僕に竹馬の友である健朗君、そして娘の家族との再会及孫娘の レイラがホテルの廊下でヨチヨチ歩きを始めた事です。

 

個人的にはゴルフに関連した旅行に3回参加しました。

  • 6月中旬、ケリー・ニコルズが企画したアイルランドへの2週間のゴルフ旅行でした。 この旅は北アイルランドを皮切りに北部と西部の海岸沿いのコースを攻略するため走行距離約1,500キロを達成しました。 残念ながら、飛行機及荷物到着の更なる遅延で苦しいスタートでした。また、アイルランドの特有の天候も味方にならず不本意なゴルフスコアーでした。でも苦い経験は今では良い思い出になりました。

  • 7月下旬、ミシガン州のアッパー半島でケリーと1週間のゴルフをしました。 その後空港のあるミルウォーキーに移動し、近くのホーソーン ヒル ゴルフ コースで初めてのホールインワンを達成しました。

  • 9月には1週間の日本ゴルフ旅行に参加しました。 東京北部から西へ100キロ、富士山の素晴らしい景色を望む山梨へのこのゴルフ旅行です。参加者全員が東京に在住時に頻繁にプレーしたお気に入りのゴルフコースをカバーしました。 とても素晴らしい、思い出に残る旅行でした。 秋なのに夏のような暑さには閉口しました。

 

マサチューセッツ州に住む私たち家族、勇仁、アンジェラ、そして二人の息子は、子供の野球及び水泳を中心にした忙しい生活を送っています。私達は夏と秋の数ヶ月間は彼らと一緒に暮らしますが、その際、孫のスポーツ場への送迎及び観戦が日課になりました。

 

シカゴに住む真理絵、ショーンの家族は最初の女児、レイラの誕生で子供中心の生活にシフトしました。今年も三回ほど家族に会いその都度レイラの急速な成長を目にする喜びを感じました。 11月に一緒に日本旅行をした際、レイラがヨチヨチ歩き始めたのを目撃したのは嬉しい体験でした。

 

2024 年が引き続き幸福、健康、平和に恵まれますように祈願致します。

特別寄稿

我、太平洋の架け橋たらん   福留俊博(Ted Fukudome)

生まれと現在

 1948年10月、宮崎県都城市北原町で出生し、現在アメリカ合衆国マサチューセッツ州及びフロリダに在住。

 

学び

 小松原中学校及び都城西高校を卒業後、米国サウスダコタ州フリーマンにある短期大学に入学し同校を卒業。その後半年間一時帰国し、カンサス州ノースニュートン市のべセル大学に編入し、1972年に同校を卒業。

 

米国留学のきっかけ    

 西高校在学中に小田実著の『何でも見てやろう』を読み、海外への憧れや好奇心を抱く様になる。期せずして、当時都城国立高専に英語教師兼宣教師を務めていた米国人と知り合い彼の紹介で地元の短期大学で米国留学をスタートする。

 

帰国後、サンリオでスタート

 同校卒業後日本に帰国し、株)サンリオの前身であるサンリオグリーティング社に専務補佐として入社する。

 5年間の在職中は国際事業に携わる。主たる業務は米国ホールマーク社と事業提携を通じ日本初のグーリーティング‘カード事業展開のサポートであった。

 また、米国のランドーアソシエイツ社と日本でのC I業務提携契約及び日本でのビジネス展開のサポートをした。C I (Corporate Identity)とは統一され、分かりやすい視覚的イメージ、デザイン等で企業イメージの一貫性及び向上を図る事業である。

 サポーターとして関与した成果は大日本クロス工業をダイニックに企業名の変更、関連する社内外の視覚的統合、伊勢丹及びリョウビ社の新たな会社ロゴ及び企業デザイン等がある。

 

MBA取得

 サンリオを円満退社後、米国のアリゾナ州にあるアメリカ国際経営大学院に入学し経営修士号(M B A)を取得。

 

外資企業の経営幹部としての舵取り

 日本ポラロイド社で12年勤務後、日本タッパウエアー、インタープレイ、日本マテルトイ、日本G B C(吸収合併後アコブランズとして社名変更)などの外資企業で経営幹部として職務に就き2014年末に退職し家族が住む米国に移住する。

 サラリーマンとして働いた40年の間、日本では高度成長期、バブル経済及びその崩壊などの刺激的な変貌を学ぶ事が多々あり、自己研磨及び成長に寄与したと考える。

 日本ポラロイド社ではマーケティング部門の責任者として米国及び欧州で展開されているユーニークなマーケティング戦略を参考にしながら日本で最初のキャッシュバック消費者還元プログラム等でインスタント写真市場拡大を図った。尚、米国本社にて新製品開発マネジャーとして勤務時には外部委託による製品開発及び製造に関する戦略を提案し成果を納めた。

 日本マテルトイ社及び定年退職する迄10数年C E Oとして勤務したアコブランズ社では特に企業の経営体質改善に注力した。中核ビジス部門に注力しながら関連製品の事業拡大、海外へのアウトソーシングなどで売上及び利益面で大きな改善が実行できたと自負している。

 

都城西高校時代の思い出

 高校での勉学はサボり気味で、勉強以外のサイクリング、読書及びアマチュア無線に興じ、英語、社会などの一部の教科以外除き平凡な学業成績であった。

 但し、英語の先生の下野忠人先生は小生の英語力を見抜き数々の英語力向上のチャレンジを与えてくれ、小生の米国留学の門戸を開いた恩師として感謝している。

 

 

 

後記

 前述した小田実の著書は小生の人生に多大な影響を与えたのは否めない。米国の全州及び30ヵ国への歴訪はその一例であると感じる。

 米国での学生生活、異文化体験、長年に渡る外資企業での仕事を通じ、マクロ的視点での状況把握および現状打破への小さな変化への挑戦戦略を考え、実践するようになった。

 最近日本で多々見聞する政治や企業活動での現状維持志向は小生の考えとは真逆であると感じている。私見だが、日本では欧米で急激に実践される「改革」より、小規模であるが継続的な変革が必要であると痛感している。この継続的な小さな変革は、その成功で支持者が増え, 日本の活性化に繋がると信じている。

経歴英文.jpg
何でも見てやろう.jpg
下野忠人.jpg
福留夫妻.jpeg
1965年前後の都城西高英語科教師。
前列左から、石沢彰一・佐々木孝臣・スプランガー・野村盛俊・下野忠人各先生
​後列左から、久保野篤・河野幸雄・畠中通夫・野崎一郎各先生

2012年の5月のBethel College(カンサス州にある福留君母校)の卒業式典で彼が卓越した卒業生として受賞し、ゲストスピーカーとして公演した時の記事。

​(クリックで拡大)

小田実『何でも見てやろう』

​2012年、妻コニーとともに。彼女は25年間、調布のアメリカンスクールの教師を務めた。

ted西高.jpg

1966年卒業写真。前列右から二人目が福留俊博君。

bottom of page