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昭和54年刊行『ふるさとの想い出写真集・都城』より(キャプションも)

編著者:肥田木重文 発行所:国書刊行会

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【本町(広口)】明治20年頃、本町広口あたりから市役所方向を写している。手前左側の人物がいる二階建ては田中書店、奥に向かって郵便局、白い外壁の日置日松堂が高く見える。右側柳の木の所に猪之助呉服店、次いで森仏壇屋、済陽旅館、藤丸食料品店、石原タバコ屋と続いた。この頃の子供は着物姿で普通は裸足の者が多かった。

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【島津邸全景】旧領主館島津邸は、昭和10年に都城を中心に行われた陸軍特別大演習を機に、大改築が行われたが、この写真はその改築以前のもの。

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【本町中町通りの歳末大売り出し】大正末期の写真。道行く人々はみな着物姿である。画面左、高野桔梗堂前に停車中の車は早川福一所有のタクシーである。大正2年に外車カデラック号(注:ママ)を8500円で購入して営業を始めたが間もなく廃業した。大正8年には林田自動車商会が都城と鹿児島間のバス路線を開設した。

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【中町(唐人町)】昭和7年頃の中町を市役所方向に撮影した街並み。左側の大きな建物は堂園政夫氏経営のさつま屋呉服店。その手前の巨大な下駄の看板の店舗は山内履物店。右側には山下衣料店があり、田之上薬局、大田醤油屋と続いた。牟田町に抜ける横丁「寿し安」の前に大正6年頃初めての映画館「電気館」ができた。

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【上町中町の交通渋滞】昭和30年頃、旧大丸・寿屋両デパート付近で、宮崎交通の市内バスが路肩のネオン灯の柱すれすれに交差している。当然のこととして道幅拡張の世論が高まった。そして昭和32年以降、国道10号線沿いの上町、中町、前田町の改良工事が進められた。投資総額12億円、7年間を費やし完工した。

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【都城飛行場】昭和8年10月都城連隊が満州から帰還したのを記念して都城に飛行場を建設することが決まった。財部大将も再三帰郷し指導した。和田原に建設することになり、翌9年起工、総従業員3万300人での工事で11月には完工した。

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ジャンカン馬踊り母智丘さくら祭り余興出し物の圧巻は、「ジャンカン馬踊り」である。唄、三味線の音に調子を合わせ脚を跳ね首を振り、駆者の手さばきもあざやかに人馬一体で踊る。

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本駅】昭和50年、新駅舎が出来るまえの旧駅舎。

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西駅】昭和24年に完成した新駅舎

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​都城駅前通り全景(撮影年不明)
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都城市役所(撮影年不明)
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